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スタンプラリー開催中!
※2025年4月18日(金)~5月25日(日)
犬島へのアクセスはこちら
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犬島ってどんなとこ?
瀬戸内海(岡山県岡山市)に浮かぶ小さな島
外周3.6km / 最大標高36m / 夜間人口約30 人
ゆっくり歩いて、一周わずか1~2時間!
コンビニも、信号機も、ネオンサインも無い...
今にも崩れ落ちそうなレンガの煙突がいっぱい
夜は真っ暗、車もほとんど走ってない!
だけど島中が美術館、ちょっと歩けば現代アート
海に囲まれ、自然がいっぱい、巨石がゴロゴロ
ニワトリだって放し飼い
そして、お年寄りたちが元気な島!
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スタンプラリー
コンテンツ一覧
犬島貝塚(地竹ノ子島)
犬島本島の西側に位置する無人島 地竹ノ子島で発見された、縄文時代早期の貝塚。1979年に発見されたが、貝層の崩落が進行しています。犬島貝塚調査保護プロジェクト・チームが2008年に発足。
犬島天満宮
1469年建立。もともとは隣の犬ノ島の中腹に祀られていましたが、大阪築港造営に際して採石が盛んになった1899年に現在の場所に遷宮しました。末社に荒神社、金比羅宮、水神社、山神社、犬石明神、祇園社があります。島民も初詣に参るなど、今も島の生活に関わる大事な場所の1つです。
祇園山(採石跡)
大阪港造営の時に最盛期を迎えた犬島の採石業。その後も掘り進むにつれて、この場所にあった大きな山も無くなり自然の池ができるほど、掘り尽くされてしまいました。唯一海と繋がるこちらの池は、面積としては一番広く、当時の人々のエネルギーを肌で感じることができます。
岡山市立犬島自然の家
1991年に廃校となった犬島学園の跡地に建てられた社会教育施設。海に囲まれた豊かな自然環境の中で、自然体験活動、文化体験活動等を行うことにより、市民の心身の健全な育成に寄与することを目的とし、ご家族・団体・個人を問わず、どなたでもご利用できます。
定紋石
徳川期の〇〇城再建にあたり、築城を割り当てられた各大名が自分の定紋を石に刻み込んだものを定紋石と呼びます。犬島には佐賀の鍋島藩の定紋と思われる「左三つ巴」が刻まれた定紋石が残っています。
犬石様(犬ノ島)
犬ノ島頂上にある高さ3.6m、周囲15m余りの巨石。その昔、菅原道真公が左遷先である九州の太宰府に向かう途中、嵐に遭いました。どこからか聞こえてくる犬の鳴き声のする方向に進むと、この島に辿り着き助かったと言われています。このことから、死んだ愛犬が犬石となって道真公の命を助けたと伝えられ、この伝説は「犬島」という名前の由来の一説にもなっています。
顕彰歌碑
「丘」がお題だった、1979年歌会始(年始めに和歌を披露しあう皇室の文化)において、犬島中学校の根木俊三校長先生が詠んだ歌が入選した際の記念碑。「オリーブの丘を下り来て渡船待つ島の教師のひと日終りて」
井戸10
井戸 13 WeARee!で遊ぼう! 実際に足を運び、一つの場所に集まるリアルイベントも、それぞれが遠く離れたところからインターネット上でつながるデジタルイベントも、WeARee!のジオAR機能は実世界とデジタル空間がかさなって、みんなと一緒に世界につながる、そんな楽しい体験ができる機能です。
井戸9
犬島「家プロジェクト」C邸の敷地内の東側に位置する。この建物には昔、犬島学園(1991年廃校)の歴代の学校長が住んでいて、その後町内会に譲渡された歴史があります。この建物を囲むように家も並んでいたことから、当時の島民の多さを伺い知ることができます。
井戸7
犬島ステイ棟の敷地内に位置する。この建物は昔「えべす」という理髪店で、中には腰掛け2つと洗面台があり、顔剃りもしてくれたようです。主に石屋で働く男衆が通い、たまり場のようになってました。女性は別の理容院(現在の診療所近く)へ行っていたそうです。
井戸6
カフェスタンドくるりの敷地内に位置する。今から約330年前の江戸時代に、玉野市番田から犬島に移り住んだ佐藤家の本家がありました。島の中でも大きな井戸で、隣の祠は井戸の神様です。
井戸3
犬島「家プロジェクト」石職人の家跡の前にある、お屋敷の北側に位置する。こちらにお住まいだったおばあさんは長年、犬島精錬所美術館で島民ガイドをされていましたが、2023年末に諸事情で島を離れることになりました。島の名物おばあちゃんだっただけに、淋しい限りです。
井戸2
犬島「家プロジェクト」F邸の東側に位置する。ここには昔、岡山化学工場長の大きな邸宅がありました。当時では珍しいテレビをお持ちだったようで、子どもたちはテレビ見たさによく遊びに行ったとか。
井戸5
旧犬島簡易郵便局近くに位置する。犬島に数多くある井戸の中には、海水が入り混じる井戸もありました。ここは地下水で淡水だったため、島の村井戸として、たくさんの島民の生活を支えていました。